君こそが僕のトップ

あなたを包むすべてがやさしさで溢れるように。

ただいま。はじめまして。

はじめまして。

加藤シゲアキさんを応援させていただいております

きのぴこと申します。

 

 

オタク人生の青春を全て捧げた担当がいなくなってから2年と少し。

またここに、こんなにも前向きな気持ちで戻ってくる日が来るとはなぁ。。

興奮で手が震えてるし、久しぶりすぎて書き方を忘れてる。

己の沼落ちを確信し、薄れる前の記憶をどうにか残そうと必死にパソコンに向かっておりますので相も変わらずとっ散らかった文章でお送りします。

 

何から書けばいいのかわからない。前までの私は何を書いていた?

そうだ、馴れ初めを書こう。前に書いた馴れ初めの、もう一つのお話。

 

 

〜2016年 夏〜

従姉妹の部屋で見たポスターで初めて存在を認識する。顔が良すぎる。

この中の誰がかっこいい?という質問に、鮮やかな金髪から目を離せないままに、でもごまかしたくて、「一番右の人」と答えた。シゲ、というらしい。顔が、良すぎる。

 

 

〜2017年 夏〜

従姉妹が夢の国行き汽車の乗車券を手に入れた。花道真横から見上げるあまりにも華やかな4人組に、気が付いたら魅了されていた。

会場を出る時にクリアファイルを買い、金髪と黒髪を交互に見つめていた。

 

 

〜2019年 春〜

本格的にNEWSにハマった。

NEWSに恋してをインストールした。「シゲくん」に出会った。

顔が良くて大人の余裕があって、それでいてちょっとめんどくさい「シゲくん」にどうしようもなく惹かれた。いつの間にかイベストは最初に読むようになっていた。

 

ここからの一年間は、文字通りNEWS一色だった。

歌が上手くて面白くてかっこよくて、誰よりかわいい世界一のアイドルに夢中になって、その裏で、「シゲくん」だけでなく「加藤さん」が、人としてどんどん好きになっていった

親しい相手にはちょっと雑なところのある口調、凝り性なところ、頭がいいところ、そして何よりめんどくさいところ。それまでの私が人を好きになるポイントとして挙げそうにない部分こそが、私が加藤さんを好きになっていったポイントだった。そう、沼である。

ちょうど発売されたエッセイを読むときには、「好きな人の心の中から世界を見れるなんて緊張する」とかちょっと意味のわからないことを言っていた。

だけど、加藤さんのソロ曲を順番に聴き続けても、加藤さんのことしかツイートしない日があっても、参戦服を緑にするか真剣に悩んでも、やっぱり加藤さんが自担になることはなかった。私の中の「自担」の特別席には、いつだって笑顔の金髪がいた。

理想の加藤さんとの出会い方は「街で『応援しています!』と声をかける」ではなく「ブックカフェで2席隣に座っている」だった。

 

 

〜2020年 夏〜

世界が、終わった。今でもこう表現して過言ではない。

絶望のあの日、泣き疲れて回らない頭で、これからどうしよう、NEWS担を続けるなら自担は加藤さんかな、とちらと考えた瞬間があった。あまりにも雑で誰に対しても失礼なその発想は、次の瞬間捨て置いた。

私は、4人全員から距離を置いた。

 

 

〜2021年 春〜

大好きな人の最後の余韻を感じたくて、マリンメッセ福岡に参戦した。

あえてほとんど全てがそのまま残された構成で、ただその不在を噛み締めた。割り振られ直したパートにいちいち気がついて、鳥に地図を託した映像に文字通り泣き崩れた。

あの日の3人も、配信の日の3人も、驚くほど均等に私の記憶に残っている。あの頃の私は、いないはずのひとりを探し続けることに精一杯で、他の誰かにきちんと向き合う余裕がなかった。

 

 

あの日からずっと、彼にどう向き合えばいいのか、NEWSにどう向き合えばいいのか、わからずにただ立ち尽くしていた。

ジャニーズを応援している楽しそうな人たちを羨ましく思いながらも、「自担」の枠を塗り替えることに強烈な抵抗感があった。彼を応援していた事実を、なかったことにはしたくなかった。

次々に配信される曲は片っ端から聞いているけれど、もうきっと彼の全てを応援することはない。

新しいお仕事の情報を会員メールで見るたび嬉しくなるけれど、今が一番だと笑顔で語るファンたちの中に私の居場所はない。

何度も何度も歩き出そうとして、右にも左にも歩き出せなくて、諦めて分かれ道の真ん中で定住しようとしていた。

だけど、加藤さんに対する感情だけは、変わらなかった。

どんなに感情がぐちゃぐちゃになっても、どんなに距離を置いても、「加藤さん軽率に恋」だけは言い続けた。たまにツイッターで見かけるエピソードを拾っては騒ぎまくった。彼氏ができた翌日に「加藤さん結婚して!!」と叫んで友人に呆れられた。ステージの上のパフォーマンスよりも、自然体(として私たちに見せてくれるもの)に夢中になっていたからこそ、加藤さんへの感情だけは、何が起きても唯一変わらなかった。

 

 

〜2022年 秋〜

長い長い前置きにお付き合いいただきありがとうございます。ここからが本番です。

さいたまスーパーアリーナに、参戦してまいりました。

参戦の動機はこの上なく適当なもの。名義が残ってたから。現場というものに行きたかったから。

だけど、ほんの少しだけ、5年前の再現を期待した。5年前訳もわからず連れて行かれたコンサートで青春を捧げる推しに出会えたあの日が、またやってきてほしくて。でも本当に起きるなんて正直思っていなかった。あんなに私にどストライクなアイドルがこの世に2人もいるはずがない。

今思えば、好きになりたい、と思っていた時点でとっくに大好きだったのだろう。

まず参戦服を買いにAぇ! 担の友人と出かけた。自然に、本当にごく自然に、緑のワンピースばかりが目についた。「あんたはとっくにシゲ担だよ笑」と言われたが実感はひとつもなかった。2枚買った。

 

公演当日。席は見事なほどの天井席。ファンサどころか表情がわかるかどうか。だけど私は、花道真横にいた時と同じように彼らの音楽に呑まれて、たった1人を追いかけた。

他担狩りのプロファンサおばけの小山さんはもちろん、増田さんもこちらの方に大きく手を振ってくれたのに、一番こっちを見て欲しかったその顔は、トロッコの周囲にこれでもかというほどの優しい笑顔を向けていた。

あの目に映りたい。心から強く思った。加藤さんに手を振ってもらうために、またここに来たいと思った。惰性でコンサートに来た私は、コンサートに来る理由を、見つけてしまった。

 

帰宅してからの私は、ずっと悩んでいた。加藤さんに会いにコンサートに行きたい。加藤さんに手を振ってもらいたい。だけど、加藤さんを応援する気持ちは、私の知っている「自担を応援する気持ち」とは少し違う。私は、まだ、シゲ担じゃない。

私はこれまで「自担」と「リアコ枠」を分けて生きてきた。加藤さんはあくまで「結婚してほしい対象」であって「自担」ではなかった。そしてそのふたつを混同してしまうことを、ひどく恐れていた。

 

そこで私はいつも通りの儀式に出た。シゲ担のツイートを読む。

毎回ここで気がつくのである。私はこの方々に共感しきれない。だから私はシゲ担じゃない。失礼いたしました。引き返そう。

今回だけは違った。どうしよう。全部共感してしまう。わかる。加藤さんかわいい。うわああああああそれめっっっちゃいい。無理。

次にWebを開く。参戦した公演のQ&Aが上がっている。

うあああああああああああ加藤さん好きだ。リアコを感じるコメントも、アイドル全開のコメントも、全部大好きだ。

もうだめだ。降参します。確信した。

おかえりなさい。NEWS担のわたし。はじめまして。シゲ担のわたし。

もうだめだと部屋で飛び跳ねながら、久方ぶりに推しが増える感覚に胸が震えていた。

 

もう一度、これでいいのか自分に問いかける。いいの? 大丈夫。

ブックカフェで出会いたい気持ちは変わらない。でもアイドル全開の加藤さんにも手を振ってほしい。

かつてひとりのアイドルに夢中になったあの時と全く同じ感情ではない。「自担」の定義はひとつじゃない。

あんなに必死に誰かを応援することは二度とないだろう。それでもいい。あれは私の青春の一つだった。

新しく誰かを応援することは、かつて誰かを心から応援していたことを、1ミリたりとも否定しない。やっと、このことを心から理解した。

世界一好きなボーカリストは変わらない。世界一好きなアイドルは2人に増やしてしまえばいい。

 

あの日から2年と少し。やっと、やっと。人生最大の大失恋から、一歩踏み出せた。