さくらのような、君でした。
あの日からはや5ヵ月近く。まだまだ先だと思っていた誕生日が、来てしまった。
忙しさにかまけてずっと先延ばしにしていた”一区切り”をつけようと思う。
ずっとバラエティーのおちゃらけイケメンだと思っていた彼に初めて生で会ったのは、もう3年半も前。従姉に連れられて入った夢の国で、鮮やかな金髪を追い続けた。
2年半後に突然沼にハマって、知った頃には申し込みの済んでいたチケットを悔しがった。来年絶対行こう、そう誓ってMCレポを読み漁った。
待ちに待った2020。彼らにとって初の会場、それもオーラスのチケットを引き当てた。正直オーバーする予算をどう工面するか必死で考えた。少しづつ明かされていく曲に心が踊った。幸せだった。
集大成のアルバムを待ち、そして楽しむその裏で、世界はウイルスに蝕まれていった。増え続ける感染者数、消えていくイベント、休みになる学校。オーラスは最後だからまだ大丈夫、そんな希望的観測が諦めに変わるのに、そう時間はかからなかった。画面越しのデートも幕を下ろし、手元のCD、火水金日のラジオと日曜夜8時を頼みにいつか来る春を信じ続けた。そうしていると、グッズのオンライン販売が発表された。
全部、ずっと、昔のことのよう。
オンライン販売の直前、私の誕生日の前日。第一報が出た。
一見薄いその中身を見て、私は当初書く側への怒りを覚えるとともに本気にしなかった。翌日、彼は月に一度の恋文でキレていた。その様子にこちらが思わず笑ってしまい、安堵した。
けれど、噂は噂のままで終わってくれなかった。彼は、友人が彼らのために書き下ろした、きっとその声を活かせるパートが与えられていた曲を、歌えなくなった。歌という最高の武器を活かす場が失われたことが、とても辛かった。
その後、事態は悪化の一途を辿った。すでにボロボロだった私たちに追い打ちをかけるような第二報。それに対して下された処分は、想像しうる最悪。これがいい意味での転機になってくれることを願いながら、ずっと離れない嫌な予感から目をそらし続けた。願いを託すようにいろんなひとの企画に参加し、私も小規模なものを運営した。
6月19日。ふと開いたタイムラインでFFさんが「18時半になにか発表がある」と言っていた。その時刻になったころ、塾のお手洗いを出るときににそれを思い出し、公式サイトを更新した。あんな状況だったにも関わらず、内容が何かを考えることもなく、更新された「ご報告」を開いた。
目に飛び込んでくる文字列に、思わず引き返して戸を閉める。信じ難い気持ちで二度、三度と読み返し、ようやく事態を呑み込んで私は、携帯を床に落とした。跳ね返った携帯が足に当たるのも構わずその場に崩れ去り、ここでやっと涙が出た。
どうにか堪えて塾を飛び出し、感情をTwitterにぶつけた。LINEのプロフィールもアイコンもホーム画像も変えて、悲しみにくれながら裏路地で電話をしたりTwitterをしたりLINEをしたり、ひととつながることでどうにか自分を保った。冗談じゃなく、彼のいない未来を生きていたくなくて、通勤ラッシュの大通りに走って突っ込もうかと思った。第一歩目を踏み込んだところでもう彼は戻ってこないんだと思い知り、虚しさでその気力すら失った。こんなことになるくらいなら、もう3ヶ月早く不慮の事故で生涯を閉じてしまっていたらこんな地獄は見ずに済んだのでは、という考えさえ頭をよぎった。
一時間半ほど泣きはらしてどうにか自習室まで戻った。一切の勉強が手につかず家に帰った。帰りの車で父親に何気ないことで注意された。八つ当たりするかのように泣き叫んだ。
第三者の勝手なコメントなんか聞きたくなくて、二週間ほどテレビを避けた。傷をえぐってくる友達は、幸いにもいなかった。空いた時間は部屋にこもって、もくもくとパズルを組み立てていた。
その後の私は、泣く回数が減ったくらいで今も変わっていない。4人笑顔で並ぶ写真を見てはさみしくなり、以前から好きだったアニメに没頭し、ストーリーが途中で止まっていたアイドルゲームと友達に勧められ新しく始めた音ゲーに精を出し、趣味の面での辛さから逃れるかのように学校での活動でがむしゃらにスケジュールを埋める。いつか見ると誓った会見は、忙しさにかこつけて未だに見ていない。
なんだか日記みたいになってしまった。これからの話をしたかったのに。
私は、生身の人間を全力で応援することに憶病になってしまった。だから、きっと、以前までのような熱量では3人も、彼も、応援できない。けれど、だからこそ、どちらにも負のエネルギーを感じることなく、見たい部分だけを、自分のペースで、見ていこうと思う。
せかいでいちばんだいすきなよにんが、せかいでいちばんしあわせでありますように。
2020.11.11 PM.11:11